「やる気がないなら帰れ」の考察

私は義務教育を修了し、高等学校を卒業した経験がある。僕は捻くれ者なので、他の人に怒られることが多々あった。私は怒られることが嫌いだが、怒っている人の発言には極力従うようにしている。これは、怒っている人に反抗をすることによってより怒られたくないからである。怒っている人の発言の中で、「次からは〇〇しなさい」とか「〇〇しないようにしなさい」というお言葉はこちらにとって厳しい発言である。しかし、なぜか時々こちらにとってラッキーな発言をしてくれることがある。「やる気がないなら帰れ」とか、「出ていきなさい」というのが一例である。こうした発言の中で、「やる気がないなら帰れ」という発言を考察していく。 

「やる気がないなら帰れ」に従うためにはどう行動したら良いのか?

「やる気がないなら帰れ」という発言をされたとき、言われた側はどう行動すればいいのか。発言に従うためには、私の行動によって「やる気がないなら帰れ」という発言が正しくなること、すなわち、命題「やる気がないならば帰れ」が真になるように行動するのが良いということだ。この命題が真になる場合を検討するために、命題pを「やる気がない」, 命題qを「帰る」として、「やる気がないなら帰れ」という命題を「p⇒q」と置き換えて考えることにする。このとき、真偽値表を書くと以下のようになる。多分正しい真偽値表になっているはずだ。

 

真偽値表

真偽値表をみてわかるのは、命題を真にするために注意をする必要があるのは「やる気がない場合」のみであり、「やる気がある」ときは帰っても残ってもいうことを聞いているとみなせる。したがって、やる気がある人は残っても帰っても言うことを聞いている。「やる気がない」場合は、帰らないと言うことを聞いたことにならない。「やる気がない」場合は、どんな手を使っても帰るべきだろう。やる気がある人間はその場に残りたいからやる気があるのかもしれないが、やる気はあってもその日は帰りたいと思っている場合はなんの躊躇いもなく帰って良い。

「やる気がないなら帰れ」と言ってしまう心理

「やる気がないなら帰れ」と発言する理由についても考察していく。まず順当に考えられる理由は、やる気がない人に帰って欲しいから発言する場合である。つまり、やる気がない人に帰って欲しいから「やる気がないなら帰れ」と発言するのである。これは当たり前のことかもしれないが、「やる気がないなら帰れ」という発言を考察するにあたって重要な事項であるので書かせていただいた。

 

次に考えられる理由は、実際には帰ってもらいたいとは考えていないが、それでも帰らずに頑張り始めて欲しいという期待を込めた「やる気がないなら帰れ」だ。この理由は、いわば謝られ待ちのようなものだ。自分が謝られることとやらせてくださいの発言を待っている。やる気第一研究所の研究結果では、この理由で「やる気がないなら帰れ」と発言する人は性格が悪いという結論を導いている。もちろんそんな研究結果も研究所も存在しないが。

 

結論としては私は「やる気がないなら帰れ」と言われてマジで帰ったことがある。以上に示した図の通り、やる気がなかったので言うことを聞くためには帰るしかなかったのである。指導者は自分の発言に責任を持って欲しいなと感じている。

 

以上で述べた内容は数学的に厳密ではないので妄信しないように。また「やる気がないなら帰れ」という発言をされて帰るのは自己責任なので私のせいにしないように。