そこまでこだわりはない

自分ではない人の考えに触れると,他の人は意外とこだわりを持って行動している事実に気づかされる.観察をしていて思うのは,こだわりを持っているからこそものに憤りを覚えるし,こだわりを持っているからこそ意見を主張する.こだわりを持っているからこそ日常の活動ができていると感じるのだ.

 

私は今こだわってこの文章を書いているが,普段生活しているときはここまでこだわることはほとんどない.こだわろうと思ったものも,途中で飽きてこだわらなくなってしまう.こだわらなくなったものでも,自分の中で8割くらいのクオリティを出せるようにしている.

 

こだわりがないとどんなことが起きるか 

物事にこだわりがなくなると,他人との意見の衝突が少なくなる.こだわっていないからこそ他人の意見と迎合できる.こだわりがないからといって,自分の意見を持っていないわけではない.時には自分の意見も主張し,相手の意見にも賛成する.したがって他人と衝突をすることは少なく,自分が不愉快にならずに済む.自分が不愉快にならないというのは非常にメリットだと思う.

 

しかしこだわりがないと,自分の意見を主張する回数が減るから意見を持っていないと思われることも少なくない.基本的に自分の主張はあと,自分は後手に回ることが多いからだ.どうしても意見を言わないといけない時は主張するが,できれば他の人に意見を言って欲しいという考えが根底にある.

 

最後に 

ここからは完全に自分の主観であるが,こだわりを持っていないからといって悩む必要はないと考えている.自分がやりたいことにこだわりを持ち,夢を見ないといけないわけではない.自分ができると思ったことをよりできるようにするとか,他の人がやりたいと感じていることをサポートするとかそういう生き方も悪くない.こだわりを持っていなくても行動できる方がより強いんじゃないかな.