プロセスを求めすぎるのはどうなのか

「いかに頑張ったのか」「どれだけ時間をかけたか」というようにプロセスを重視する人もいるだろう。確かにプロセスは重要かもしれないが、それに囚われてしまうのは良くないと感じる。

 

人々が相手に求めるもの

私が思うのは、人に何かをしてもらいたいと思ったとき、人それぞれ相手に求めるものが異なるということだ。主に相手に求めるものは二つに分類できると考えている。二つの分類は私の私見が入っている。

 

1 結果を求める

プロセスは関係なく、結果を重視するタイプだ。このタイプは、頼んだことが達成されれば良いので、依頼を達成するスピードは全く考慮していない。場合によっては依頼の内容をより発展させるために追加の意見を述べてくるかもしれない。これは粗探しではなく、純粋にできあがったものを改善したいという考えだ。納期が設定されていて納期まで期間が残っていたとしても粗探しに走ったりはせず、結果が出ていればよしとするタイプだ。

 

2 プロセスを求める

結果よりもプロセスを重視するタイプだ。これは頼んだことが達成されるよりも、どんな過程だったのかを重視する。悪くいえばやった感を求めるということである。依頼した人物が依頼した物事に対してどれだけ時間を割いたのかを確かめたいのだ。割いた時間を確かめることによって、どれだけ仕事をしたか確かめたいのだろう。こういうタイプは依頼を早めに達成できたとしても、納期が近づいていないと粗探しをしてくる場合がある。これは先ほど述べたように、割いた時間が短いからである。

 

プロセスが全てではない

プロセスを求める人はプロセスを求めるあまり、結果が出ていたとしても働いていない感覚に陥ってはいないだろうか。他人が結果を出しているのに粗探しをしてしまうのはこれが原因と考えている。粗探しをすることによって他人の時間も奪うことになるし、自分の時間ももったいない。

 

逆に、時間をかけるだけかけて全然結果が出ていないということはないだろうか。例えて言うならば、勉強をしている時、自分は全然理解できていないのに時間をかけたから理解した気になっている。という状況と同じである。

 

加えて努力をすることがよいと考えているので、自分のキャパシティを超えて頑張り過ぎてしまうこともあるだろう。頑張ることはいいが、頑張りすぎるのは良くない。

 

自分が目指す目標を定め、その目標を達成するために行動する。というのが一番良いと感じる。結果を出すために努力をする。その努力が一番いい努力の仕方ではないか。私たちが良いと感じる努力は、結果を出すためになされた努力なのだ。