"知り合い"が一番関わりづらい

生まれた時からぼうっと生きていたら、良くも悪くも成人をしてしまった。そんな人生の中でも人と関わる機会は少なからずあった。私は人と関わることが得意ではないので、関わりづらいと感じることが少なからずある。今までを振り返ってどんな場合に関わりづらいのかを考えたので、文章にしていく。

 

関わりづらい感覚を説明するために、まず人との親しさの度合いを考えたいと思う。人との親しさというのは、全く関わったことのない段階、嫌いな段階、知り合いとみなせる段階、友人と言える段階、親友と言える段階まで幅広くあると感じる。一次元の軸上に簡単に(本当に簡単すぎる)表現した。図を以下に示す。

適当なグラフ

この図は関わったことのない段階を中心とした。左に進むにつれて親しさがマイナス、すなわち嫌いとなり、右に進むにつれて親しさがプラス、すなわち好きとなる。このような軸を考えたとき、一番関わりづらいと感じるのは,知り合いとみなせる段階なのではないか。この段階にいる人間と街中で遭遇したとき、なんて声をかけたらいいかわからなくなってしまう。気軽に挨拶するわけにもいかないし、かと言って無視をするのも気が引ける。このような存在にはそもそも気付かれないように避けてしまうのだが、それもそれで良くないと反省することがある。

 

長い期間協力して仕事をしたとか、協力してゲームをクリアしたとかであれば知り合いの段階をパスすることができる。たまたまクラスが一緒になったとか、課題を一緒に解きましたとかだと知り合いの段階になると感じている。すなわち、積極的に人と関わると図上の知り合いとみなせる人は増えていくと思っている。こうした人たちと気楽に関われるようになれば、人との関わりが楽しくなるのになあと想像している。

 

そもそもこのように人との関係をグラフ上に表現することがモラルに反しているかもしれないが、どうしても感覚としてはあるものだ。少し話しかけるのに気か引けると思っても、深いことを考えずに気楽に接することができるようにしたい。人は話しかけられたからどうとかそんなに気にするものではないからね。