"普通"に対して思うこと

いままで多くの人が言う「普通」がなんなのか悩まされることがあった。普通というのはテレビとか学校とかで知らないうちに理解しているものであって、正確に伝えてもらえるわけではない。普通というものが平均値なのか中央値なのか最頻値なのかよくわからないが、数多くの要素から何か一つの数値で普通を測れるとしたとき、自分は普通とみなされる数値から離れているんだろうなと思っている。

 

こんな話をしたくなったのは、「コンビニ人間」という作品を読んだからである。コンビニ人間には普通であるとは言い難い主人公が描かれている。私が見ても普通ではない主人公である。もしも「普通」と言われている人間が平均値であるならば、この主人公は外れ値であるに違いない。

 

日本では数多くの人が普通になりたいと考えている気がする。普通というのは周りの人が見て目立たないような存在である。目立つことによって他人から触れられたくないという気持ちがあるのだろう。なんなら普通にならないと周りから除外されてしまうと感じる人もあるだろう。

 

実は私自身も普通に憧れているところがある。普通になればより多くの人と共感することができるし、自分の意見も共感してもらえると思うからだ。

 

普通になりたいが普通になれないという葛藤を持ちながら生きる。普通という概念に縛られながら、普通によって自分の強みを見出し、自分らしさを作り上げていくのかなと想像している。全員が全員普通じゃなく、全員が全員普通を目指している。普通を目指しても普通になれることはない。そう考えると気楽に生きることができる気がしている。