昨今,「私は陰キャですが,〇〇」といったツイートが散見される.例えば,「陰キャだけどオフ会にいきたい」等である.この使い方は謙遜の一種であると感じるため,ツイートを批判する意図はない.しかし,私が思う陰キャはそんなこと思わねーよと感じるので,ここで陽キャと陰キャの再定義をしていきたい.
コミュニケーションが苦手=陰キャではない
散見されるツイートでは,コミュニケーションが苦手な人が陰キャであると仮定している.すなわち,「コミュニケーションが苦手な私でも〇〇」と言い換えても文意は変わらないと言うことだ.この文章から読み取れるのは,本人はコミュニケーションが苦手だから〇〇ができないと思っているが,”〇〇をしたいと言う気持ち”はあるのだ.
これを私は「コミュニケーションに対する向上心」とする.私が思う陰キャは,この向上心を持っていないのである.
陰キャ・陽キャの定義
陰キャ・陽キャは「コミュニケーションに対する向上心」を持っているかどうかで定義する.向上心を持っていないのが陰キャで,持っているのが陽キャだ.
定義された陰キャの特徴
定義した陰キャの特徴は次のようなものだ.まず,人が多く集まる場所にはそもそも行きたがらない.陰キャは,大人数でワイワイすることよりも,少人数で静かにしているのが好きなのだ.もちろんワイワイすることが嫌いなのではない.比較して静かにしているのが上というだけだ.
また,基本的に新しいコミュニティに属そうとはしない.一度あるコミュニティに属すると,それ以降別のコミュニティに入るという気が起きない.友達がある一定数いればそれで十分なのである.
まとめ
私が思う陰キャの定義をつらつらと書かせてもらった.多くの人は思った以上にコミュニケーションに対する向上心があって驚かされる.世の中にはこのような隠れ陽キャが世の中にあふれている.
隠れ陽キャが世の中に多くなると,次のような懸念点がある.
私が定義した陰キャに対して,あいつはいつも一人でいるから仲間に入れてやろうと思うかもしれないが,それが本当に本人のためになるかはわからない.かえって苦痛を与えてしまうこともあるだろう.
陰キャ陽キャに限らず,自分とは異なる気質の人間がいることに留意して他人と関わっていく必要があると感じる今日この頃である.
追伸
2021/03/28 陰キャの陰の文字を間違えていたので直しました.
なんか違和感あったんだよチクショー