社会人になってからお弁当を作っている
大学生のときも時々お弁当を作って大学に持って行っていたが、社会人になってからほとんど毎日お弁当を作って持って行っている。お弁当といっても凝ったお弁当を作っているわけではない。買って置いた冷凍食品を温めてお弁当箱に詰めるだけである。
冷凍食品を活用することでお弁当を作る時間を短縮することができる。冷凍食品の良いところは電子レンジでチンをしている時間は髪を整えたり着替えたり他のことに時間を活用することができることだ。 冷凍食品という文明上優れた商品があるおかげで、早い時間に出社することができている。入社してから時間が経っているのに始業のおよそ30分前には出社できている。
早い時間に出社をするのは個人的に清々しい気分になる。他に30分前に出社をする人などいないけどね。あと早く出社するとその分働いていることになるから働くの好きな人みたいになるよ。
思いのほか残業をしてる
社会人としての生活がスタートしてから、自分が活動している時間が可視化されるようになった。大学生のときは勤怠管理などはなく活動している時間が明確になっていなかったが、社会人になってからは会社で勤務している時間が可視化できるようになった。
一般的には一週間の労働時間は40時間であると聞いたことがある。ゆえに一日の労働時間は約8時間だ。会社に出社してから8時間の作業をするわけだが、想像しているよりの作業は進まない。 作業が進んでいないからもうちょっと作業をしたいと思って続けて作業をするわけだが、気づいたら終業時間から2時間経っているなんていうことはザラにある。
労働時間8時間に加えて2時間の残業をすると一日10時間労働になる。 会社に入社する前は一日に10時間労働をすることなんてしたくないと思っていたが、実際に勤務が始まると一日10時間勤務をしている日がたくさんあって驚くことになった。どちらかというときついのは前半で、大体15時をすぎたあたりから集中力が上がってくる。気づいたら11時間会社に居たなんていうこともある。
1日に2時間の残業をすることが通常になると、おおよそ1ヶ月で40時間の残業をすることになる。一月で40時間の残業というとかなり多い気がするが、残って作業をすることが多くなるだけで簡単に超えてしまう。
8時間労働を厳守する会社もあると伺っているが、それはそれで大変だろうと思う。一日8時間の作業だけで自分に割り当てられた作業が終わる気がしない。ホワイト企業は確かに働き方はホワイトかも知れないが、作業量がホワイトとは限らないのが怖いところだ。業務がまだ残っているのに残業ができないのはそれはそれで辛い気がする。
その日のうちに作業を終わらせたい性分の人や、時間内に業務を終わらせる自信がない人は、残業も自由に行える環境を選択した方がいいかもしれない。 もちろん、残業をしないといけないような会社はブラック企業である恐れがあるので、残業が全くない企業に就職するほうがリスクは低いだろう。
社会人の自由時間について
社会人になったことで自分のためだけに使える時間は減ったものの、自分のためだけに使える時間が増えたと感じている。なぜかというと、大学生のときは課題のことなど他のことを気にしなければならなかったからだ。大学生は平日に講義を受けたり実験をしたりする。当たり前のことだが、講義を受けたり実験をしている時間には課題をやることは困難である。課題に取り組むためには講義を受けている時間以外、すなわち自分が自由に使える時間を割かなければならないのだ。それに対して社会人は、基本的に仕事は業務時間に行えばいいので、休みの日は本当に何もしないでいいのである。休日はより罪悪感がなく活動することができる。昼まで寝ていてもなんの問題もない。ONとOFFがより明確になった気がしている。
就職しました
新卒として最近会社に入社したわけであります。今まで会社に入社したことがなかったので多少不安な気持ちを抱えながら入社式を迎えることになった。
世の中の会社というのはある程度秘密にしておかなければならない事項が存在し、容易にどんな仕事をしているのか公開することはできない。
そこで、社会人になってどんなことが変化したのか述べる。
今まで理系の大学生として活動をしていた。大学生は人生の夏休みと形容されることもあるみたいだが、理系の大学生はそこまで夏休みといった感じはしない。そもそも理数系の勉強は頭を使うのでエネルギーを消費する。さらに、実験の課題は考える時間も必要だしレポートを書くのに物理的な時間が必要だ。
理系大学生として生活することで、パソコンの基本的なスキルであるタイピングのスキルがついたと思っている。業務でパソコンを使用するときはタイピングが早いだけで得をしそうだ。
大学生として活動をしているときは、一日一日を気軽に過ごしていた気がする。人生の夏休みと言えるほどやることが少なかったわけではないが、一日一日の価値はそこまで大きくなかったように感じている。
これより、次の日に授業があっても早い時間に寝ようとも思わないし、生活習慣を整えようとも思わなかった。
会社員となってから数日しか経っていないものの、会社員になって一日一日の価値が大きくなった。一日が重いから睡眠時間もしっかりと確保しようと感じるし、一日をしっかりと過ごしてやろうという気持ちも芽生えてくる。
会社に入社してから数日で学んだことは、しっかりと睡眠をとっていいコンディションで一日の業務を始めるべきだということである。
大学生のときはちゃんと寝ることなんてしないが、やっぱりちゃんと寝たほうがいいよ。寝るのいいし大学生もちゃんと寝ようぜ。
大学生のうちは生活習慣がボロボロでも耐えるけど、これから就職をしようと思っている人は整った生活習慣にすることが可能か確かめたほうがいい。生活習慣を戻せずに苦戦をするのは会社にはいい人材だと思ってもらえないだろう。
メールって人間として生きていくために必要じゃね?
大学生として煮詰まっているPKBです。去年は就職活動をしていたのでメールのやり取りを頻繁にしていた。メールでのやりとりってかなり面倒だなあと思っていたのだが、メールを使うことは社会人として必要なことではなく、人間として生きていくために必要であるということを自覚した。
最近引越しをしようとしているわけだが、不動産の担当者とやり取りをするためにメールを使用している。おうちに住みたいという意志を表明するだけでもメールでのやり取りが必要になった。家に住むだけでもメールでやり取りをしないといけないことがわかって人間として生きていくことの難しさを実感した。
メールでのやり取りとかのメッセージのやり取りが面倒と感じる人は、人生においてなかなか厳しい戦いを強いられるんやろなあと思っている。メッセージのやり取りは面倒がらずにできるようになりたい。
人見知りあるある言いたい
前から人見知りという実感があるPeeKaBooです。よろしくどうぞ~。ということでYouTuber(主に視聴しているのはわいわいさん)のような挨拶からスタートするわけですが、以前から人見知りじゃないかという疑惑がある。というのも、初めて話す人は適当に話すことができるのに、多少知り合った人に対しては何を話していいかわからなくなるとか、人見知りあるあるに共感することがあった。そこで、改めて自分が思う人見知りあるあるを発表する。
知り合いを遠くから視認したとき避けがち
これは人見知りあるあるとしてトップに君臨しても良いレベル。知り合いを見つけたなら気軽に声を掛ければいいのに、なぜか声をかけることができない。特に今話したいこともないしまあ気づいたけどええかの気持ちである。そもそもそんな場所で話しかけたとして特に言うこともない。この能力が上がると誰よりも知り合いの存在に気づけるようになる。
話したいことが思いつかないと喋らない
これは人見知りあるあるなのかどうかわからないが、話したいことがないのに話す必要がないんじゃないかと思ってしまう。無理にしゃべってよくわからん展開になるよりは喋らない方がいいという主義。しゃべって微妙な空間を錬成するよりは喋らない方が得。
気まぐれに遊ぶ
人見知りあるあるだと信じたい。急にボウリングがしたくなったりとか、急に自転車を漕ぎたくなったりとか急に何かをやりたくなる。その遊びのコストが少ない場合はすぐに遊びに行くし、面倒だと思ったらやりたいと感じていてもやらない。流石に気まぐれが過ぎる。
人と積極的に関わる人間とは格の違いを感じる
人見知りだといち早く人間の多様性に気づくことができる。それは人見知りじゃない人間を見たときに嫌と言うほど人としてのあり方の違いを感じるからである。パーティーとかいう都市伝説みたいな会合に参加している人はすごいと思っている。
人見知りを治したいとは思っている
人見知りの人は、人見知りを治したいとは感じている。しかし、人見知りを治すための行動はほとんどしていないことが多い。わざわざ人見知りを治すために知らない人が多い場所に自分の身を置くことはない。人見知りを治すチャンスとなるのは、新しい環境に身を置いたときである。人見知りでも初動ファイトの重要性には気づいている。しかし、初動ファイトがうまくできないから人見知りのままなのである。
とりあえず思いつく人見知りあるあるは以上の通りである。人見知りを必ずしも直さなければならないわけではないと思っている。人見知りだからといって楽しみがないわけではない。人見知りならではの楽しみを見出せばいいと思う。
ようやく教習所を卒業できた
最近はぼちぼち大学4年生をしている。ぼちぼち大学4年生を堪能している中でも、ハードなことをこなさざるを得なかった。それはなぜかと言うと、教習所というものに入所してしまっていたからである。
教習所に入学したのは6月半ばである。教習が始まったばかりのころは、運転というものがここまで困難だとは思っていなかった。教習所で受ける教習は、所内教習と路上教習に分かれている。所内教習は運転にかかる操作法を学ぶといったテイストで、そこまで困難だとは思わなかった。所内教習自体は比較的スムーズに進み、2ヶ月ほどで仮免許を取得することができた。これによって教習所自体をスムーズに卒業できると思ったわけだが、教習所はそんなに甘いものではなかった。
路上教習というものが始まった。路上教習はその名の通り路上を走る。通っている教習所は日本の首都と呼ばれている場所(実は日本は首都というものが法律によって定められていないらしい)、すなわちTから始まる都道府県にある。他の都道府県で運転をしたことがないからわからないが、少なくともこのことによって教習の難易度が上がっている。
難易度が上がっていると感じるポイントを挙げていく。まず、都市部で運転をするということは車の通りが多い。「車」と表記しているのだから、もちろん自転車も含む。自転車と車が共存している社会においては、より安全を確認して運転をしなければならない。一度路上教習をしているときに、歩道がある道路で路側帯のあたりで自転車が停車したことがあった。車が通るから止まってくれたのだと思うが、止まるよりも進んで歩道に移ってくれた方がありがたいなあと感じた。
次に難しいと感じるポイントは、信号機である。信号機なんか黄色と赤で止まるとかそんなもんでしょとお思いだろうが、そうではない。都市部だと当たり前のように矢印付きの信号がある。矢印付きの信号があることで、右折したいときは黄色の後も進行できることに留意しないといけない。これによって、やはり注意する点が増えている。なんなら右折の矢印だけではなく、直進と左折の矢印がある場所だってある。なんやねん。
以上に挙げた困難と戦いながら教習を進めていった。教習を進めていくと、自主経路と呼ばれる教習を行うことになる。この教習は、定められた場所まで自分が決めた経路に従って運転するというもので、指導員の指示がない。これも困難の一つだった。なぜかと言うと、昔から地図を読むことが苦手なのである。地図が読めないんだから道が覚えられるわけない。地図上のランドマークとなるものを覚えて臨んでも、見通しが悪くてランドマークが見えないとか言うことがザラだった。普通に道を間違えた。
自主経路を乗り越えると、あとはそこまで困難ではない。切り返しとか縦列駐車とかのやり方を覚え、卒業検定に臨むだけだ。卒業検定は、決められた路上のコースを走ることと、切り返しor縦列駐車のどちらかが見られる。これだけの困難を乗り越えて来たんだから、大丈夫だろうと思って卒業検定を受けた。
不合格だった。切り返しをミスったらしい。縁石に乗り上げてましたよとか言われたけど、全然気づかなかった。縁石に乗り上げたことにすら気づけないやつが免許を取得していいのかよと思ったが、再び卒業検定を受けて合格することができた。晴れて(曇っているかもしれないが)教習所卒業である。
教習所を卒業するのに7ヶ月くらいかかった。仮免許を取得してから、咳が止まらない期間があってなかなか教習を受けられなかったことも卒業に時間がかかった原因である。もう少しで仮免許の期限が切れて、今までの教習がパァになるところだった。
教習所を卒業したら自動的に免許が取得できるわけではなく、ここからまた学科試験を受けなければならない。卒検前効果測定が満点だったから大丈夫だとは思うが、縁石に乗り上げた過去があるので学科試験でも縁石に乗り上げないようにしたい。
免許を取得したらじゃあ安心というわけではなく、安全運転に努めなければならない。運転初心者の期間中に2回程度違反を犯してしまうと、初心者教習みたいなやつに参加しなければいけなくなる。初心者教習は1日時間が取られるらしいからそれは避けたい。縁石に乗り上げないような安全な運転を心がけていきたい。